日露戦争2 ロシア革命とソ連のベストセラー小説「ツシマ」

 

(photo: 日本海海戦の参謀、秋山真之の胸像。秋山兄弟の実家にて。)

  勝ち戦で日本が増える一方の捕虜対応に追われている時、ロシアでは政情不安が高まっていた。負け戦で絶対権力者ニコライ2世の権威が大きく揺さぶられ、国民の不満が表に噴き出した。大勢の死者を出した「血の日曜日事件」(1905年1月22日)をきっかけにストライキの波が全国に広がり、更に5月27日にロシア海軍が対馬沖で大敗すると反乱が起き、政治改革を求める声が高まった。

血の日曜日事件 (Public Domain)

 1906年初めにロシア初の選挙が行われ国会が開催されたが、皇帝が専制統治に強く固執したため政治改革は頓挫。ロシアは次に起きる大きな革命に向かって下り坂を転がり落ちて行った。

 戦争が日本の勝利に終わり、7万人余りいた捕虜は帰国し、様々な道を歩んだ。対馬沖海戦で捕虜になった水兵アレクセイ・イヴァノヴィッチ・ノヴィコフ=プリボイ という人は文筆家になった。海や海軍を題材にした作品を発表したが、帝政に批判的だったため、当局に睨まれ西欧に亡命した。第一次大戦前夜に偽名でロシアに戻り執筆活動を続け、10月革命でボリシェビキ政権が発足した後、対馬沖海戦を題材にした小説の執筆に取り掛かった。1930年代に発表した「ツシマ」と題する作品は、ソ連のベストセラーとなった。

ノヴィコフ・プリボイ記念切手
(Public Domain)

 「ツシマ」は実話に基づく小説だが、ソ連の作品らしく階級の底辺にいる人々が「英雄」として登場する。その中にヴォウコヴィツキという若きヒーローがいる。この人は戦艦ニコライ1世に乗船していた士官候補生で、日本海軍の大攻撃の中で降伏しようとする艦長に断固抗議し戦いを続行した。結局ヴォウコヴィツキも最後には捕虜になるのだが、帰国後、軍人最高位の勲章聖ジョージ・クロスを授与されている。

 「ツシマ」はスターリン賞を受賞し、第2次大戦初期の1940年に改訂版が出版された。
 全てが独裁者の思惑により決まるソ連で、この時期に改訂版が出た背景は何だったのだろうか。翌年スターリンは日本と不可侵条約を結んでいるが、近い将来日本と戦争する可能性を見通し、対日感情を逆撫でしておこういう思惑でもあったのだろうか。

 それにしても人の運命というのはわからない。「ツシマ」の改訂版が出回る頃、英雄ヴォウコヴィツキは、よりによってソ連の捕虜収容所で明日の運命もわからない日々を送っていた。


続く




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