投稿

ラベル(ヤドヴィーガ)が付いた投稿を表示しています

中世の大学を支えた意外な資金源  ポーランド クラクフ - Kraków, POLAND

イメージ
 ポーランドの古都クラクフにあるヤゲロー大学  は、1364年に創設されたヨーロッパ最古の大学の一つだ。 (1) (photo: ヤゲロー大学最古の建物コレギウム・マイウスCollegium Maius)  この大学を創設したのはポーランド・ピアスト王朝最後の王様だったカジメシュ大王だ。国内制度の改革を進めたカジメシュの宮廷では、他国との取り決めや法律などの専門知識を持つ高等教育を受けた家臣の役割が増えていた。文字 が読めないカジメシュを補佐するために、法律の知識があり、ラテン語や外国語に長けた人物を雇い入れなければならなかった。大学はボローニャやパリなど数少なく、卒業生の数も限られていたので、優秀な人材はどこの宮廷も必要としており、人材確保は容易ではなかった。 カジメシュ大王  隣国ボヘミア王国のカレル4世が大学を創ったのを見て、カジメシュはクラクフにも大学を創ることにした。だが、「大王」と言われた名君でも、勝手に大学を開くというわけにはいかなかった。大学を開くためには知識人の協力がいる。この時代の知識人と言えば聖職者と決まっていたので、聖職者のボスである教皇の許可を得なければならなかった。  クラクフとアビニヨン(当時の教皇はアビニヨンにいた)の間を外交団が何度も往復し、ようやく教皇の合意を得た カジメシュは、 早速大学を開設した。生徒も集まり講義が始まったが、間も無く資金面で行き詰まってしまった。校舎建設も始めたものの、資金不足で中断し、講義は仮住まいで行なわれた。教授陣の報酬も嵩み、資金繰りがつかなくなってしまった。カジメシュは教授の人件費を教会に負担させるなど、経費削減策を図ったのだが、大学経営はカジメシュが思ったようには行かなかった。  大学開校から6年後にカジメシュが亡くなると、ポーランド王位はカジメシュの甥、ハンガリー王ルドヴィック1世が継いだ。ルドヴィックは、在位中ほとんどポーランドを訪れることもなく、大学経営にも無関心だった。後ろ盾を失った大学は自然消滅してしまった。 左:女王ヤドヴィーガ、中央:ヴワディスワフ2世ヤゲロー  クラクフの大学再開に情熱を燃やしたのは、ルドヴィックの死後ポーランド王位を継いだ女王ヤドヴィーガと、彼女の夫ヴワディスワフ2世ヤゲローだった。ヤドヴィーガは大学再開を見ることなく1399年に26歳の若さで亡くなったが...