バルト海をめぐる駆け引き 第3話 戦争と狂気
(イラスト:海上で戦うスウェーデンとデンマークの戦艦)
泥沼化する戦争
スウェーデン領を侵略したフレデリック軍は、町や村を次々と襲った。略奪、暴行、放火を繰り返すフレデリック軍に対抗するエリック軍も、敵の進軍を阻むため町や村を容赦なく焼き払い、軍隊が通った後には焼け跡と死骸だけが残った。激しい戦いは海でも繰り広げられていた。激しい砲撃を受けた船が次々と兵士の悲鳴とともに海の底に沈んでいった。
リンク:第1話 イワン雷帝の求婚; 第2話 兄と弟
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| エリック14世 |
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| カタジーナ |
指輪の言葉
アボ城で降伏したヨハンとカタジーナは、ストックホルム郊外のグリップスホルム城の牢獄塔に監禁されていた。さすがにカタジーナを粗末に扱うことは憚られたと見え、二人には数部屋が割り当てられ、召使もあてがわれ、食事に不自由するような事もなかった。とは言え、部屋には日の光も当たらず、外には常に100名の兵士が二人の一挙一動を監視していた。ヨハンの死刑判決とイワンの魔の手という二重の恐怖が、二人の上に大きく影を落としていた。
二人の監視を任されたのは、ヨーラン・ペルソン²(Jöran Persson)というエリックの腹心の部下だった。エリックは大きな権力を持つ大貴族を嫌い、ペルソンのような平民出身者を重宝していた。大半の貴族が欠席した議会で、ヨハンを裏切り者と糾弾したのもこの人物だった。
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| Hugo Salmson作、ペルソンに指輪を見せるカタジーナ |
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| 獄中のカタジーナ、ヨハン、ジグムントJozef Simmler作 |
妄想
牢の外では戦が続いていた。素早い勝利で終わるはずだった戦は勝利の兆しが見えないまま、すでに4年近くも続いていた。エリックの妄想は激しくなり、行動は異常さを増していた。魔法をかけようとしたと言いがかりを付け召使を処刑したり、突然、見えない敵に襲いかかり暴れ回ったりすることもあった。そんなエリックをただ一人静めることができたのは、カリン・マンスドッタという少女だった。カリンは居酒屋の下働きをしていたが、エリックが気に入り城に連れてきた孤児だった。エリックはどんなに暴れていても何故かカリンを見ると一変して大人しくなった。エリックは母親の膝元に駆け込む幼子のようにカリンに甘えるのだった。
ある日、エリックの星占いに金髪の若い男が王冠を奪うという予言が出た。占星術に凝っていたエリックはこの予言を信じた。この男が自分の行く手を邪魔していたのだ!全ての障害の原因はこの男なのだ!正気を失ったエリックの脳裏にはよく知っている若者の顔が浮かんだ。この男が仲間と共に自分を陥れるための陰謀を企んでいる… これは反逆だ!こいつらを捕まえ成敗してやる… エリックは夢中で裏切り者への復讐を計画した。敵を1箇所におびき寄せ、逮捕し、自白させ、処刑するのだ。その実行は、自分に忠実なペルソンがやる… エリックは「敵」に招待状を送り、スバーシュという城に招待した。エリックの妄想に気づかない貴族らが次々とスバーシュ城に向かっていた。国中を震撼させる悲劇が刻々と近づいていた。
エリック転落
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| スバーシュ城 |
エリックは、無我夢中でスバーシュ城に向かった。城についたエリックは牢獄に向かった。そこで悲劇が起きた。エリック自らが「金髪の若い男」ニルス・ストゥレを殺害し、興奮したエリックを宥めようとした老臣をも殺害してしまったとも、兵士に命じて貴族を殺させたとも伝えられ、詳細は不明なのだが、エリックが去った後には、貴族5名と老臣の無惨な遺体が残されていた。
反乱
殺人現場から失踪したエリックは、その3日後に、薄汚れた農民の服をまとい、森の中をさまよっているところが見つかった。エリックは自分が誰なのかさえわからず、弟のヨハンがスウェーデン王だと思い込んでいた。
国政を担えなくなったエリックに代わり、貴族の評議会が実権を握った。殺害された貴族の遺族には巨額の補償金が支払割れ、ペルソンは逮捕された。エリック発狂の知らせを受けたデンマーク王フレデリックはこれを好機と見て、軍隊をスウェーデン領奥深くへと進めた。この混乱の中、1567年9月、ヨハンとカタジーナは牢獄から釈放され、4年ぶりに自由の身となった。二人は幼いジグムントを伴い、ストックホルム西方のエスキルストゥーナ城(Eskilstuna)に移り、刻々と代わる政情を見守ることにした。
エリックの病状は徐々に回復し、12月末、大勢の客を招いた晩餐会が催された。その席上、エリックは妊娠8ヶ月のカリンを指差し、7月に秘密裏に彼女と結婚したと宣言し、一同の顰蹙と反感を買った。21世紀の今日なら、王族と平民の結婚など珍しくもないが、エリックは身分制度が社会の礎であった16世紀の国王だった。居酒屋の下働き娘が王妃になるなど、人々には理解すらできない出来事だった。神から統治の権を授かった国王が、その特権と義務を自ら踏みにじった… と受け取られても無理はなかった。宮廷に反乱の匂いが漂い始めた。
凱旋
ヨハン3世は即位後すぐにデンマークとの和平交渉に入った。7年続いた北方七年戦争が終わり、ヨハンは、かつての約束を果たすため、リヴォニアに出兵、イワンと戦っているカタジーナの兄ポーランド王ジグムント・アウグストに加勢し、ポーランドに有利な戦況をもたらした。ジグムント・アウグストはそれから3年後に死去し、ポーランドは選挙王政に移行した。だが、ポーランドとスウェーデンの同盟は続いた。そして、1558年に始まったリヴォニア戦争は、25年の歳月を経て、1583年ポーランドの全面勝利に終わった。敗北したイワン雷帝は、バルト海進出を諦め、リヴォニアから兵を引き暫しの平和がやってきた。
カタジーナは同年亡くなり、次の年にはイワン雷帝が亡くなった。そして、その3年後の1587年に、カタジーナが牢獄で産んだジグムントがポーランド王に選出され、ヨハン3世がその5年後に亡くなると、ジグムントはポーランドとスウェーデン両国の国王となった。
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| ワルシャワ王宮前広場。真ん中に見えるのはジグムント円柱。てっぺんに立っているのはジグムント像だ。 |
これで、リヴォニア戦争にまつわるバルト海覇権争奪戦の話はおしまいだが、もちろん、覇権争いそのものが終わったわけではなかった。
時と共に、ポーランド、スウェーデン、ロシアの力関係は変遷していった。ポーランドは17世紀半ばに起きた度重なる戦争で著しく疲弊し、スウェーデンも18世紀初頭ロシアとの戦いに敗れ覇権争いから脱落した。ロシアのピョートル大帝はスウェーデンから奪ったバルト海沿岸の土地に瀟洒な都を築きぺテルスブルグと名付けた。その後のロシアは、バルト海進出を足がかりにヨーロッパ政治に大きな影響を及ぼすようになった。

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